ちなみに、「晤語(ごご)」とは「相対してうちとけて語ること」という意味です。

2017年3月10日金曜日

四月以降の予定について。

長い間、更新が止まっていて申し訳ありません。
4月以降の予定は3月中にご連絡申し上げる予定です。
よろしくお願いいたします。

2016年12月5日月曜日

「講演会」のお知らせ

 連絡が遅くなってしまいましたが、12月の哲学カフェ「晤語の哲学」はお休みさせてもらいます。次回の開催については、また後日、ご連絡します。
 
 で、「その代わり」というわけでもないですが、12月13日(火)に、島根大学教育学部主催の特別講演会がありますので、よろしければ、ぜひそちらにご参加いただければと思います。

 この講演会は「晤語の哲学」の主催者が企画したもので、教育学部主催、島根大学国際交流センター、島根県日仏友好協会の共催とさせていただきました。
 講演者は、フランス人で、アメリカ在住の哲学者、フレデリック・セレール氏です。今回、日本で哲学関係のシンポジウムのために来日するのを機に、島根大学で講演していただけることになりました。

 講演のテーマは「多文化性とアイデンティティ」。
 ご自身の多文化的な出自を踏まえ、現代のヨーロッパの多文化的状況について哲学的に考察、分析していただける予定です。

 以下に、日時と場所を記しておきます。
 申込不要、入場無料ですので、ぜひお気軽にご参加ください。


  島根大学教育学部 主催
  島根大学国際交流センター・島根県日仏友好協会 共催

  特別講演会「多文化性とアイデンティティ」
  講師:フレデリック・セレール (シカゴ デポール大学)

  日時:2016年12月13日(火) 17時〜19時
  場所:島根大学松江キャンパス 教養講義棟1号館 202教室

ポスターも貼り付けておきます。ご参照ください。

         

2016年10月29日土曜日

11月のテーマを決めました。

お待たせしました! 次回の哲学カフェ「晤語の哲学」のテーマを決定しました。
日時も含めて、改めてご案内いたします。

日時:11月6日(日) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
   (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)
テーマ:「〈老い〉って何?」
参加費:無料
ファシリテータ:川瀬雅也(島根大学教育学部)
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0852-32-6284(直通) 島根大学教育学部 川瀬研究室
        kawase@edu.shimane-u.ac.jp

テーマについて:
 生物は、どのようなものでも成長していきます。「老い」もその成長の一段階だと考えることもできますが、しかし、「老い」と言った場合、いわゆる「右肩上がり」的なイメージよりは、むしろ、「右肩下がり」的なイメージ、あるいは、ピークを過ぎて「終息」(「終息」は「息(生き)の終わり」と書くことに改めて気づかされました)に向うイメージの方が強いでしょう。そうした意味で、どこか「寂しさ」が漂うような気もします。
 しかし、逆に、どこまでも行っても「右肩上がり」というのは、これはこれで不自然なことです。山があれば谷があるのが自然なように、上り坂があれば下り坂があるのであって、「終息」など意識しなくても、いわば「自然体」で「老い」を生きればいいようにも思えます。
 さらに、「老い」そのものにもある種の「力」が宿ると考えることもできます。「若さ」は確かに「力」には違いありませんが、それはいわば「潜在力/可能力」であって、まだまだ未熟で、粗削りで、無鉄砲で、方向が定まらず、ある種の暴力性すらも備えています。それに対して、「老い」のうちには「現実的な力」が宿っているように思えます。それは成熟したものだけが持つ「静かな力」であり、定まった方向を持ちつつも、あらゆるものを包摂してくれる「包容力」です。「老い」にいたるまでの経験の蓄積がそうした実質的な力、「底力」を生み出しているのでしょう。
 しかし、とは言いつつも、現実には、体力、精神力はどうしても落ちてきます。目が見えにくくなり、俊敏性が失われ、持続力が落ち、物忘れが多くなり、集中力も鈍ってきます。今や、「65歳以上の高齢者」(65歳は高齢者でしょうか?)は人口の四分の一を越えました。今後ますます〈「老い」をいかに生きるか〉が社会問題となるなかで、改めて「老い」について考えてみたいと思います。


2016年10月20日木曜日

次回開催日のお知らせ

 次回の哲学カフェ「晤語の哲学」は以下の日程で開催します。
 テーマについては決まり次第、お伝えいたします。

日時:11月6日(日) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
   (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)

2016年9月29日木曜日

10月の哲学カフェ「晤語の哲学」のご案内

 次回の哲学カフェ「晤語の哲学」についてご案内いたします。

 なお、毎回、初めて参加の方も数名ずつ来られています。ご興味をお持ちの方は、ぜひ一度「試し」に参加してみてください。

 また、左の「メールで更新内容を受けとる」にメールアドレスを入れたけど、更新内容が送られて来ないという方、アドレス送信後に送られてくるメールのリンクをクリックすることで、初めてアドレスが登録されますので、そこまでの手続きをお願いいたします。

 では、次回の案内です。

日時:10月15日(土) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
   (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)
テーマ:「ふるさとって何?」
参加費:無料
ファシリテータ:川瀬雅也(島根大学教育学部)
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0852-32-6284(直通) 島根大学教育学部 川瀬研究室
        kawase@edu.shimane-u.ac.jp
 

テーマについて:
 「ふるさと」って何でしょう。「ふるさと」は「古里」「故郷」「古郷」などの漢字で表されますが、いずれも「自分が生まれた土地」「自分の出身地」、あるいは「自分が帰るべき場所」などという意味を持つ言葉でしょう。しかし同時に、「心のふるさと」などということもよく言います。これは必ずしも自分の出身地でなくても、心理的な面で自分の原点になったり、何か懐かしさや安心感を感じさせてくれる場所について使われるように思います。
 「ふるさと」の単なる語義ではなくて、「人間的意味」について考えようとするならば、「心のふるさと」などといわれる場合の「ふるさと」の意味を考えることが有効かもしれません。上で「懐かしさ」「安心感」などと書きましたが、「ふるさと」というのは、しばしば、これらの心理的状態に密接に結びついているように思います。他にも「ぬくもり」「優しさ」「親しみ」などの言葉が連想されるでしょう。「ふるさと」とは、誰をも無条件で受け入れ、抱きしめ、慈しみ、なぐさめ、迎え入れてくれる場所なのでしょう。
 「ふるさと」がしばしば、象徴的な意味での「母」(「実際の母」ではなくて)を連想させるのも、上のような「ふるさと」のイメージに由来するように思います。象徴的な意味での「母」は、さらに「祖父母」に、そして、先祖に結びつき、最終的には、「自分という存在の起源・根拠」のようなものにまで連なっているのでしょう。「ふるさと」というのは、少し大げさに、そして抽象的に言うと、「私という存在がよって立つ大地」なのかもしれません。
 今、「地方創生」が叫ばれています。が、その前に、「人間が生きること」にとっての「ふるさと」の意味を改めて考え直してみるのもいいかもしれません。

2016年8月18日木曜日

9月のテーマを決定しました!

 次回、9月の哲学カフェ「晤語の哲学」のテーマを決定しました。
 再度、期日や場所等も合わせてご案内いたします。


日時:9月11日(日) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
   (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)
テーマ:「〈いいかげん〉って何?」
参加費:無料
ファシリテータ:川瀬雅也(島根大学教育学部)
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0852-32-6284(直通) 島根大学教育学部 川瀬研究室
        kawase@edu.shimane-u.ac.jp

テーマについて:
 今回のテーマは「いいかげん」です。「いいかげん」という言葉は不思議な言葉で、「イイカゲンなことを言う」という場合には悪い意味になりますが、「イイカゲンに焼き上がる」となるとよい意味になります。同じ言葉が「なおざり」という意味と「ちょうどよい具合」という意味との反対の意味をもつのです。
 なぜ、同じ言葉がこのような相反する意味を持つようになったのでしょうか。語源を調べれば何か分かるかもしれませんが、ここでは、相反する二つの意味を持つ「いいかげん」という言葉の微妙なニュアンスについて考えることで、「人生の機微」のようなものを感じ取れたらいいなぁ、などと考えています。
 ところで、いままで「いいかげん」が二つの相反する意味を持つと言ってきましたが、問題は、はたしてこの二つの意味は相反するのかどうか、ということです。一見すると、「ちょうどよい具合」と「なおざり」とは相入れないように見えますが、しかし、あまりにも厳密にピッタリ調整しようとすると、その「ピッタリ」は針の先のようなもので、いつまでたっても「ピッタリ」に合わせることができず、むしろ、ちょっと「いいかげん」に、「ゆるく」考えたほうが、「ちょうどよい具合」に容易に達するような気もするのです。そう考えると、「いいかげん」の二つの意味は必ずしも反対ではないのでしょう。
 しかし、それでもやはり、あまりにも「ゆるく」してしまうと、「好い加減」だったものがただの「いいかげん」に変わってしまうのですから、やはりこの調整には難しさがあるのでしょう。厳密すぎず、かといってゆるすぎない「いいかげん」って、どんな具合なんでしょうか。そんな生き方をしてみたいのですが・・・。

2016年7月21日木曜日

次回開催日のお知らせ

 哲学カフェ「晤語の哲学」の次回開催日をお知らせします。
 来月(8月)は、会場の都合や主催者の都合等でお休みとさせていただきます。ですので、次回は9月に、以下のような日程で開催いたします。

日時:9月11日(日) 14時~16時
場所:島根大学 学生市民交流ハウス FLAT
   (島根大学松江キャンパス正門進んで左手)

なお、テーマについては決定しだい、またご連絡いたします。