ちなみに、「晤語(ごご)」とは「相対してうちとけて語ること」という意味です。

2014年2月3日月曜日

二月の「晤語の哲学」のご案内

 二月の哲学カフェ「晤語の哲学」を下記のように開催いたします。お知り合いもお誘い合わせのうえ、どうぞご参加ください。

日時:2月15日(土) 15時~17時
場所:Esu and Kei (エス アンド ケイ)
   佐世保市天満町2-17(佐世保警察署隣)
   (市バス「谷郷町」下車徒歩3分、近隣に駐車場有。
   県北振興局総合庁舎裏の駐車場は土日無料で駐車可。)
テーマ:「〈あいまいさ〉の功罪」
参加費:無料(個人の飲食代のみ必要)
参加方法:当日、現地に集合。申し込み不要。
問い合せ先:0956-34-8436(直通)、または、090-1517-2850
      あるいは、kawase@sasebo.ac.jp


Esu and Keiの場所は以下のURLをご覧いただけば掲載されています。
http://tabelog.com/nagasaki/A4202/A420201/42000959/dtlmap/


 今回のテーマは「あいまいさ」です。今回はテーマ設定の背景をあえてご説明しましょう。昨年11月、60歳の男性が、出生直後に別の新生児と取り違えられていたことが、DNA鑑定の結果、明らかになりました。もちろん、それは〈正しい〉親子・兄弟関係が分かったわけですから、良いことなのかもしれませんが、では、60年間続いた「育ての親と子の関係」は〈正しくない〉親子関係だというのでしょうか? DNA鑑定に持ち込まれた理由がどうあれ、60年間の親子関係にも、その重さ、その〈正しさ〉があるような気がしてなりません。
 近年の科学技術の発達によって、かつては〈あいまい〉でしかなったことが、〈白黒はっきり〉と決着がつくようになっています。確かに、〈あいまい〉は良くない面があるかもしれませんが、かといって、〈白黒はっきりさせる〉ことがいつもいいことなのでしょうか?
 科学技術の問題に限らず、私たちは普段、様々な〈あいまいさ〉の中で生きています。特に〈あいまいさ〉は日本文化の特徴のように語られることもあります。しかし、その一方で、現代のように、多様な利害が錯綜しあうなかでは、紛争や対立を避けるためにも、可能なかぎり〈あいまいさ〉を取り除こうとする動きも顕著です。こうした状況の中で、私たちは、〈あいまいさ〉というものとどう付きあうべきなのでしょうか。〈あいまいさ〉の功罪を考えることを通して、社会の中で生きることの意味を考えてみたいと思います。

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